ボクがドクター!?

  • 2008/08/29(金) 01:18:02

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高橋さんです。
ウソです。

ボクの手話の先生です。

今日の講義終了後、
高橋さんではなく、今回の研修の主任講師の方から呼び出された。

彼の研究室に呼び出され、ソファーに座らされ、
真剣な面持ちでボクの顔をじーっと見ていた。

彼は日本では数少ない西アフリカのろう社会の研究者。
アフリカの研究者は最近でこそ増えてきているけれど、
それでも他の学問に比べたらまだまだ少ない。

「アフリカ」というキーワードでどれだけのことが検索できるだろう。
トピックそのものは数多く出てくるけれど、端から見ていけばすぐに行き当たる。
レパートリーの少なさと、重複の繰り返し。

その中でも、彼は西アフリカのろう社会の研究。
ここまで限定してしまうと、その数は片手で数えられるほどになってしまう。

その片手への参加を勧められた。

「将来の金銭的なリスクは高いので、『ぜひ!』と勧めることはできない。」
「それを承知の上で、敢えて研究者になることを勧めたい。」

この講義では毎週末、試験と共にレポートを提出しています。
ボクの好奇心は、欲望に昇華しました。
自分が学びたいこと、その必要性と、社会とのつながり、
何より「学びたくてたまらん」って思いのたけを綴ってきました。

それを踏まえた上で、彼からいただいたお話。
「アフリカ」かつ「ろう社会」なんて限られたフィールドから
初めて客観的な評価をいただきました。

研究者になるということは、
大学院の修士課程に進み、博士課程に進み、大学に限らず研究機関に就職するということ。
その頃にはボク、もう30歳を越えてるよ。。。オホホホホーーーーー。
だって、大学の卒業に7年かかっているのだもの。

せっかくの機会だからと、
自分がこれまで考察してきたこと、すべてを彼に伝えました。
このフィールドで生きていきたいということも。

そして、、、

















「保留で!!」と頭下げました。

想像がつかないんだもん。
モヤシが研究者?実験体じゃなくて??

この1ヶ月で、大学在学7年、ナイロビ大学の研究機関での研修と、、、
ボクの進路は予定にはないけど願ってもない展開を迎えた。

でも、研究者になることを望んで決めた道じゃないんだよね。

再来年、ナイロビでの研修を終えて、
「行く必要がある」と考えたら、そのときは挑戦します。
学力、金は困難になっても、障害にはならないと思う。

行くときは行きますとだけ伝え、
今後は対等な情報交換を行っていただけることになり、ボクは帰宅。

ワクワクしそうな進路を選んだのだけど、
これじゃワクワクどころか、ハラハラだよ。。。

また一つ、元気。

  • 2008/08/28(木) 00:00:00

前方後円墳

今日の放課後の課外レッスン。
「カメルーン人ろう者はいかにしてナンパを行うのか」
しっかり学んで参りました。要はノリとジャイアニズムのコラボでした。

先生、ありがとうございました♪

さずがに超ツメコミ型語学研修も、4週目までくるとバテバテです。
教室の中には大きなあくびをする人、今にも眠りついてしまいそうな人。
ボクはそんな彼らを横目に、一人、先陣を切りました。

スコーーーーーーンと、
夢におちました。。。

カメルーン人の先生にポカーーーーンと叩かれて起きました。
机と口の間にキラキラと輝く糸。
あぁ〜汚い。

毎日、通学に1時間半から2時間。
最近では読書にはまりつつあります。
昨日買ったブックカバーは本のサイズに合いませんでした…

特等席は満員電車のオヤジの背中。
ほどよいリクライニング機能がついています。

今日読んでいた本の中にあった言葉。

現在の学校で生じている些細な学力の差、
あるいは家庭環境などによる条件の違いにとらわれて、
自分の将来を見限ったりはしないでほしい。

個人の能力や才能は、
いつどこで開花するか計り知れないものです。
努力と鍛錬の積み重ねの上にこそ切り開かれるものです。

簡単に可能性を放棄したり、
容易に「現実」と妥協したりすることのないように願っています。


著者はボクの知っている方。
コレを実行し、成し得たことを知っている人なので、
その説得力には今まで読んだ本からは感じられなかった強さがあります。

ボクは「ヨシ!」と一言。
背中からは「ヨシ!じゃねぇよ」と一言。

こうやって、毎日少しずつ元気を集めてます。
リクライニングサラリーマンからは、元気を吸いとってます。
気が付きにくいだけで、「元気」は周りのあふれてるのかも…なんて思いました。

疲労はピークに達するのかもしれません。
それでもボクは大丈夫なのです。
こちらに来て、、、さらに太りました。

現在、ベルトの上には360°お肉がのっかります。
前方後円墳を立てたような体型になってきました。。。
最近、些細なことで燃えてくるのは、このお腹周りの脂のせいだと思います。

コレ、なくなるまで消費しないと。。。

うまくなったじゃん。

  • 2008/08/27(水) 00:38:24

「うまくなったじゃん」って言ってもらえた。
まさかそんなこと言われるとは思っていなかったので、しばらく何も答えられなかった。。。

今、ボクは手話通訳者暦うん十年の人たちと机を並べて勉強している。
初めてここに来たとき、自分が「たかだか手話暦1年」だということを実感させられた。
ちょっとへこんだりもしたけれど、
それ以上に手話やろう文化の奥の深さに感動し、魅了されてしまった。

それから、自作の手話単語帳フランス語ver.は2冊目を終え、
ときには競争意識を強くもって、どの受講者よりもたくさん勉強しようとしてきた。
夕方の喫茶店での手話の独り言レッスンにも慣れてきたこの頃、
思いもかけない言葉を言われてしまった。

「うまくなってきたね」
「最初よりも表現が豊かになってきたよ」

こういう言葉をかけてもらえることが、この道で生きていこうとする元気になる。
言われたばかりのときは実感がわかなくて、ただただポカーンとしてしまったけれど、
帰りの電車に乗る頃にはニヤニヤが止まらなくなってしまった。w

ケニアで手話を勉強しまくっていた頃、
健聴者であるボクには、どうしても越えられない壁があると思った。
ろう者たちが培ってきた表現力には到底かなわないと思った。

それはすごく寂しくて、とてもむなしくも感じてしまった…

けれど、何十年とろう者と関わり、言葉を交わしてきたクラスメイトたちと話していると
その「壁」に絶対はないんじゃないかと思うようになってきた。
そして、手話をマスターすること自体を目標にしていない以上、
それは越えるべき壁なんじゃないかなって考えるようになってきた。

今日、そのきざしが見えた気がする。
たぶんだけど、イケる。。。

ボクの声は、まだまだあの子たちの近くに寄ることが出来る。
そう考えただけでうれしくてたまらない。

実はテストの点数だけは毎回、主席をキープしてるんです。
このまま主席修了を目指して、明日からもがんばります♪

A・J・フォスターの功績

  • 2008/08/26(火) 00:26:10

サハラ以南アフリカにはいくつもの言語圏があります。
英語圏、フランス語圏、その他各国の公用言語。
細かく分類すれば数え切れないほどの言語が存在する。

英語圏、フランス語圏の存在は、
旧宗主国であるイギリスやフランスによる統治を反映するもの。
主に東アフリカに英語圏が多く、西アフリカにはフランス語圏が分布しています。

こういった背景の中で、一際異彩を放つのがアフリカ手話。

当然、アフリカ各国には古来からの独自の手話が存在しますが、
現在では多くの国の手話にアメリカ手話がベースとなっています。
アメリカに統治された過去をもつ国など一つもないのに…

ボクはケニアで初めてろう者、ろう社会、ろう教育に触れました。
ろう者の先生が手話で授業を行う。
これはアフリカの多くの学校ではごく当たり前のように行われています。
そして、ボク自身も世界中でそれは当たり前なのだと思っていました。

でも…

日本では、未だに口話教育が主流となり、
手話による教育は依然として認められていません。
それは他の国でも同様に見られることです。

しかし、アフリカでは当たり前のようにろう者による手話教育が行われています。
この背景にいるのがAndrew Fosterという人物。

以下、参考文献から引用します。

アフリカ系アメリカ人の牧師であるA・フォスターは
「ろう者のためのキリスト教ミッション(Christian Mission for the Deaf:CMD)」を設立し、
1957年からアフリカの広い範囲でろう教育事業に取り組みます。

CMDは、ろう者たちが自ら手話で運営するろう学校を
アフリカ13ヵ所に32校を設立し、ろう教育の普及に貢献しました。

彼がアフリカで行ったのが、ろう者の教員の育成です。
ガーナの施設の一室を間借りし、
アフリカ中からろう者を集めてアメリカ手話のレッスンを開始します。

本来、言語を統一するということは、
現地の人間のアイデンティティを搾取することとされ、
現地の人々に受け入れられることは少ないのですが、
A・フォスターの事業はアフリカのろう者のなかで高く評価され、歓迎されていました。

そして、彼の元でアメリカ手話を学んだろう者たちか各国に帰り、アメリカ手話が広がります。
彼らの持ち帰ったアメリカ手話は、各地の言語、文化と接触することにより
ぞれぞれの変貌を遂げていきます。

例えば、今、ボクが学んでいる「フランス語圏アフリカ手話」は
A・フォスターによって伝承されたアメリカ手話と
現地で公用語として話されているフランス語とが接触して生まれた言語です。

A・フォスターは「アフリカろう教育の父」と呼ばれ、尊敬を集めています。
また、その教えを継承したろう者たちが、各地で学校やろう者団体を設立し、
手話を使用言語とした様々な活動を展開させていきました。

ところが、1987年12月3日、フォスターは他の乗客12人と同乗してセスナ機でケニアへ向かいました。
飛行機は20分にわたり高度を上げようとしたもののこれに失敗し、
ルワンダのギズニー近くの山岳地帯に墜落しました。
乗客全員が死亡し、フォスターは生前の本人の希望を通りルワンダに埋葬されました。

多くの功績を残す人ほど、早くに亡くなってしまいます。
ケニアでろう者向けにHIV/AIDSの啓蒙とカウンセリングを行っているNGOの中心人物も
昨年、一昨年のカメルーンにおけるKenya Air Waysの墜落事故によって命を落としてしまいました。

サハラ以南のアフリカのろう社会において
A・フォスターほどにろう者に貢献した人物はいないでしょう。

ボクがケニアで学んだケニア手話の中にも、
現在学習しているフランス語圏アフリカ手話の中にも、
A・フォスターが残した遺産は依然として息づいています。

アフリカのろう者のために人生を捧げたA・フォスター。
彼ほどのことを目指してはいないけれど、今後も彼から多くを学びたいと思います。



参考文献:Langue des Signe d'Afrique Francophone(非売品)

ボクを魅了するもの。

  • 2008/08/25(月) 01:15:33

ケニアにいた頃であれば、
「ケニア手話を学んでいます」と話すと
「ケニア手話って英語なの?スワヒリ語なの?」と聞かれる。

現在なら
「フランス語圏アフリカ手話を学んでいます」と話すと
相手が聞き返すときには「フランス手話?へぇ〜、フランス語できるの?」と聞かれる。

手話の勉強に限らず、
ろう者と関わる前のボクであれば同じことを言っていたと思う。
でも、それは日本に限らず、
世界の健常者の障害者に対する認識の低さの表れとなっている。

まず上の問いに答えると、
ケニア手話は、英語でもないし、スワヒリ語でもない。
フランス語圏アフリカ手話もフランス語ではないし、フランス手話とはまったく異なる存在。

「手話」というのは、一つのれっきとした言語であり、
例えば、日本手話はボクが話す日本語とはまったく違う言語である。

もう一つ大切なのが「口型」。
ケニア手話において「愛」と表現するとき、
ボクはサインとともに、loveと口でも話す。
フランス語圏アフリカ手話において「愛」を表現するときも、
ボクはサインとともに、aimerとフランス語を口で話す。

この行為が口型というものなのだけれど、
これにはサインをどういう意味で使っているのかを明確にするためのサポート的役割がある。

以下からは、フランス語圏アフリカ手話(以下LSAF)を例にします。

そもそもアフリカにおける手話とは、
欧米諸国の手話の影響を受けながら育ってきた。
LSAFでは、旧宗主国のフランス手話ではなく、アメリカ手話の影響を受けている。

それは、アメリカからやってきたろう者の牧師アンドリュー・フォスターによる。
(アンドリュー・フォスターについては、後日アップ。)

彼の影響により西アフリカ諸国ではアメリカ手話が広がり、
また旧宗主国のフランスによる言語教育からフランス語の筆記教育がされた。

健常者にとっては、フランス語に統一されているだけだが、
ろう者にとって、アメリカ手話とフランス語の接触は非常に大きなインパクトを残した。

こうして生まれたのがLSAFである。
アメリカ手話がベースにあるからといって英語でもないし、アメリカ手話でもない。
フランス語圏だからといってフランス語でもないし、フランス手話でもない。

アメリカ手話のサインを継承しつつも、
その表現にはフランス語の名残をもつ、
非常に複雑かつ、形態そのものがアフリカ史を語るような言語。

フランス語の名残をもつ最も大きな部分が、前述の口型となる。
サインそのものはアメリカ手話に非常に近いにも関わらず
口ではフランス語を発している、もしくはそのように口を動かしている。

アメリカ手話をベースとするケニア手話とLSAFにおいて、
前述の「愛」は同じサインである。
でも、「愛」のサインをしつつ、口でloveと言ってしまえば、
それはケニア手話で、LSAFではなくなってしまう。

ケニア手話が染み付いているボクにはこれが最も難点で、
油断していると、つい英語の口型でサインしてしまい、
カメルーン人ろう者の先生に怒られる。。。

「おぃ!!」って。

これが、今ボクが最も魅了されてしまっているアフリカ手話の概要。

もっと何年も早くに出会っていれば、今年で大学を卒業できたかもしれない。
でも、後半で出会ってしまい、魅了されてしまったのだから、
4年でも、5年でも足りなくなってしまったのも仕方ない。

目の前に学びたいことがあるのに、
それをスルーする理由なんてボクにはない。
学びたいものがある先へ進むのが進路だと思うようになってきた。

もっとシンプルな言い方をすれば、「運命だ」と感じたから。

先2年間のボクの進路は視界良好。
地平線まで澄み渡って見えます。

その先に崖があるかもしれませんが、今はまだ見えないので進みます。

レールを外れたつもりもありません。
自分で自分の走るレールを作りたいんです。
この欠陥列車で。

ケニアの列車の旅は車両故障の連続です。
真夜中にサバンナのど真ん中で故障停車します。
そこから見える星空は、人の目に涙を浮かべさせます。

不良列車にしか見つけられないものってあるんだなって思う。
ボクはこっちの旅のほうが好きです。















でも、ボク自身はケニアで列車に乗ったことないんですけどね…
友達から聞いた話です。w

来年は乗るぞーーーーー!!